なぐすなぢゃ!守れ!大間函館航路

地域生活応援誌:JUNTOS(フントス)リレ-連載

@JUNTOS:46号掲載@
りょういぢの「はみだし地方公務員~ナルシスト編~」

ナルりょういぢ
氏名:菊池良一(37)妻子あり。血液型:AB
職業:あおぞら組、時々、地方公務員
(小学5年の時、将来なりたい職業に「役場職員」と書いた。)

その他の職:消防団員、神楽会員、太鼓奏者、
町バレーボール部長、町内会班長etc
組長曰く:「あおぞら組ナルシスト部長」

「あおぞら組員」への道

「ナルシスト(ナル)」とは「自己愛」。

自分では気にしていないが、我が組長からするとワイ(わたし)は相当のナルのようだ。ワイが「あおぞら組員」に、そしてナルになる切っ掛けは役場職員だったことに始まる。思い起こせば、あの時の出会いが人生の岐路だったのだろう。

去る1999年11月、大間の寒い秋。NHKの朝ドラ「私の青空」ロケ隊がガヤガヤと大間入りし、撮影がワラワラと始まった。大間が全国に発信される!これは町にとっても、まちの広報作成を担当していたワイにとっても大きなチャンスだ!と、いつものようにカメラ片手に撮影現場へ。

今まで味わったことのないテレビ番組の撮影現場という雰囲気に押されながらも、一歩ずつ前へ。テレビで見たことのある人が間近にいる!オー!感動&緊張!

ん!?地元で見たことがある人もいる。私と同じようにカメラ片手に撮影をしているではないか。さては物珍しさに芸能人の写真を撮りに来た地元民だな~。と思っていた。ドラマの撮影は何日も続き、私も現場に何度も足を運んだ。行く先々で良く見る顔の地元民が何人かいて、そのうちに次第と話しをするようになり、お互いが撮った写真を提供し合うようにもなった。

その人達こそ、我が「あおぞら組」組長の島康子とその同志(主に女性)たちだったのだ。後で知ったのだが、この時既に彼女達はインターネットを駆使し、この大間の歴史に残るであろうドラマ撮影の模様を全国に発信するべく、何度も撮影現場に来ていたのだった。当然のように私が撮った写真もネット上に公開され、それを見て「お~!いいね~!ワイの撮った写真が全国発信だべな!」という具合に、アッという間に気付いた時は私も「あおぞら組員」。と同時に、ナルシストな自分も覚醒したような気がする。

翌2000年。華々しくNHK朝ドラ「私の青空」がスタート!私の「あおぞら組」ゲリラ活動も朝ドラ同様に華々しくスタートした。

テレビ出演

大間の休日
大賞作品「大間の休日」ワンシーン。本気の女装してるワイ。

2001年の秋。青森朝日放送が主催する「ふるさと自慢わが町CM大賞」が開催されることとなった。作品募集の案内文は町役場の広報担当部署に送られてきた。担当はワイ。

当然の如く、CM制作は役場主導ではなく「あおぞら組」主導となり、第1回目の作品作りが行われた。内容は、大間のワラシが地元の特産品を釣り上げ、それを見ていた都会人っぽい釣り人がビックリして海に落ちるという設定。都会人っぽい釣り人がワイ。9月の大間の海は冷たかった。が、3~4回撮り直したよな~。CM大賞の審査会はそれ自体が番組となっていて、出演者か役場の担当者がインタビューを受ける。初めてテレビ出演したワイだったが、緊張と興奮で上手く喋れなかったことが記憶に残っている。

このCM大賞は入賞すると実際にテレビでCMを放映してくれるという特典がある。そして何と!第3回目の大賞をゲットしたのは「あおぞら組」!というか大間町。その時の作品タイトルは「大間の休日」。皆さんご存知のアノ映画の大間バージョンだ。撮影場所は県内屈指の観光地「大間崎」。夏も終わりの季節だったが観光客もそれなりにいる中、女装しての撮影は恥かしさを既に通り越し、心地イイ気分になっていたのを思い出す。あと一歩で違う道を歩むところだった。

CM大賞
CM大賞受賞!年間200本放送の特典付き。
トロフィーを持っているのがワイ。

ラジオ出演

ジャケッツ
ラジオ放送局「FMアジュール」で収録中。
この写真はCDジャケットになっている。

大間町から車で約1時間の場所にある下北半島の拠点「むつ市」には、「FMアジュール」というラジオ放送局がある。2003年から「あおぞら組」の番組を持たせてもらい、早6年。

タイトルは「あおぞら組の大間ナスティ~ダスティ~」。放送は毎週日曜日の午後3時15分からの15分間。毎週、むつ市には通えないので一度に3~4週分をスタジオで収録している。

「ナスティ~ダスティ~」とは大間弁で「なすてぃ?だすてぃ!」。標準語で「なんで?だから!」という人と人のやりとりで使われる言葉の意味。当初はリスナーからの「なすてぃ?という質問を受けて「だすてぃ!」という感じで組員が答える内容の放送にしようと考えてのタイトルだった。しかし、ラジオがスタートして6年の間に届いた質問は3通あったかどうかで、喋りのメインは大間の旬の話題や「あおぞら組」活動の話。

ラジオ出演の日程調整やネタ作り&進行役は主にワイが担当。3年ほど前から「カサッケ・ボーイズ」と称し、ワイの他に2人の組員(ちなみに2人も役場職員)がメインでラジオに出演している。たまに出る組長ほか女子組員はゲストである。「カサッケ」とは貝の一種でアワビやホタテと比べるとかなりマイナーな貝であるが、そのマニアックなところが売り。

ラジオ番組を持たせてもらって6年も経っても、ワイど3人の喋りはいまだにカミカミ&グダグダであるが、それも売り。2009年は「カサッケ・ボーイズのナスティ~ダスティ~」に変えてみては?という組内の声もある。でも、こんなワイどの番組が打切りにならないようFMアジュール局長に期待するところだ。このラジオ放送は「あおぞら組」ホームページ「なまなま大間通信」でも聞けますが、訛りが強いので心してお聞きください。

新聞に載る

「あおぞら組」の活動はゲリラチックである。だからテレビや新聞などの記事でもよく紹介されるが、ワイの中ではテレビやラジオよりも新聞で紹介されることにナル心がくすぐられる。青森県では東奥日報という新聞がある。今まで新聞記事として取り上げられたゲリラ活動は数々あるが、極めつけが2006年の「東奥賞」受賞。毎年、東奥日報社が青森県内で活躍した人物や団体へ贈呈する賞で、当然、新聞記事としてデカデカと掲載される。この栄誉ある賞を大間町のまちづくり団体が受賞したのだ。「あおぞら組」が単独で受賞したわけではないが、ワイが大人になって久々に貰った嬉しい賞の一つだ。そして、厳粛な雰囲気の中で行われた受賞式に出席したワイとキンズ(カサッケ・ボーイズの1人)は、ビシッと着たスーツの下にマグロTシャッツ、足元は長靴、頭にはタオルを巻き、手には大漁旗を握り締めての登場。ゲリラとしての正装ではあるが、さすがに恥かしい気持ちが強かったな~。しかし、翌日の新聞記事に掲載された受賞式の写真を見て恥かしさは気持ち良さに変わっていた。

東奥賞
「東奥賞」受賞式典にて。手前でテンパッテルのがワイ。足元は長靴だし。

朝ドラ「私の青空」放送から9年。ドラマ放送を切っ掛けに大間町も「あおぞら組」も確実に元気になったと言えるだろう。ワイも、自分自身が歩んできた道を振り返ると、まさにナルになるべくして歩んできた道だったと言える。

今回は、ワイにとって露出度の高い組活動だけを紹介しましたが、この他にも組員と共に様々なゲリラ活動を遂行してきた。そんなワイの次の野望は「ドラマ出演」だ。